
高橋一生インタビュー:『1972 渚の螢火』の魅力&俳優としてのアイデンティティを語る
2025年10月10日にRエンタメディアで公開された記事の転載です。 【元記事】 https://news.tv.rakuten.co.jp/2025/10/int-takahashiissei.html ---------------- 10月19日(日)22:00からスタートする『連続ドラマW 1972 渚の螢火』(WOWOW)で主演を務める高橋一生。ドラマは1972年、本土復帰目前の沖縄を舞台に、混乱のなか強奪された100万ドルの行方をめぐりスリリングな追跡劇が繰り広げられていく、骨太なクライムサスペンスである。 今回、高橋が演じるのは、18日間というタイムリミットのなか事件の真相を追い求めながらも、沖縄出身という出自に心揺れる一人の刑事・真栄田太一。役に対する心情、ドラマの見どころと共に、俳優・高橋一生のアイデンティティ、そしてエンターテイメントの可能性について聞いた。 (文・中村裕一、撮影・中川容邦)
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- 作成日時:
- 2025/10/15 15:49
1972 渚の蛍火
ーー今回演じられた真栄田は沖縄出身で東京の大学に進学し、警視庁勤務を経て琉球警察へ戻ったエリート刑事。地元の署員からは「本土の人間」と揶揄される彼の心情に触れて、高橋さんが最も感じたことは何でしょう。 真栄田に対して「それじゃ(相手に)伝わらないよ」というセリフがありますが、僕自身にとっても過去によくあったことでもあるんです。相棒である与那覇(青木崇高)が真栄田を称するときに「あいつは昔から何を考えてるかわからなかった」と言うのですが、僕も同じようなことをよく言われていたので、そこにシンパシーを感じていました。 本人はそんなつもりはなくても、言葉にすることが照れくさかったり、あまり説明したくなかったりなど、そういう気持ちが根底にあると思うんです。 真栄田としても、そこの部分はあまり語るべきではないし、語ってもわかってもらえないだろうし、と感じていたような気がします。なので、役の理解としては、自分自身のそういうところから彼にフォーカスを当てていったところはあります。 ーー高橋さん自身にも真栄田と重なる部分があったということですね。 真栄田はとても素直で、取り繕っているというか、虚勢を張っているところがない。その部分に関してはとてもいい人間だなと思いつつ、周りからどう思われているかわからない、という感覚においては、僕もそうだった時期があったかもしれないな、と思いながら芝居をしていたので、そこはけっこう面白かったです。 ーーちなみに高橋さんはその時期、苦しかったり、辛かったりしましたか。 芝居だけでなく日常生活においても「それだと伝わらない」と言われることが多かったので、自分が伝えていたこと、伝えそびれてしまっていたことを、演じながら真栄田に投影していたと思います。 ただ、もちろん脚本があって、物語の流れもあるので、どこまで彼の感情の発露を通じてお芝居で説明していけるかなとは思ってましたけれど、逆算して、例えば与那覇とお互いがお互いを理解していく過程を考えると、真栄田としてはきっと伝わっていたんだろうなという感覚はあります。 ーー今回のドラマのタイトルであり、物語の舞台でもある1972年ですが、沖縄を含めた当時の日本の時代背景、社会情勢には緊迫感とともに複雑なものを感じます。 あの頃の日本って、自分が勉強している限り、まだアイデンティティに揺れていたと思うんです。日本国内だけの問題ではなく、当時の世界情勢における日本の立ち位置であったり。安保闘争や学生運動などが起こり、それぞれの思想が激しくぶつかり合うなか、もしかしたら日本という国が大きく変わるんのではと思った人もいたでしょう。 ーー確かに激動の時代だったと思います。 そのくらい、国としてのアイデンティティも揺れていたと思うんです。 ただ、そういう時代背景はありますが、この作品はドキュメントであってほしくなかった。もしドキュメントだったら、このドラマをつくる意味がなくなってしまいますから。なので、作品の世界観においては、想像の余白がちゃんと立ち上ってくればいいなと思って臨ませていただきましたし、きっと提示することができたのかなと。実際でき上がってきたものを見ましたが、物語として楽しんでもらえるだけの要素はたくさんあると思います。 ●俳優・高橋一生のアイデンティティ(存在意義)とは ーーその「アイデンティティ」ですが、日本語だと「存在意義」「存在証明」と訳されます。ずばり、“俳優・高橋一生”のアイデンティティ=存在意義は現時点で確立していると思いますか? していると思いますけれど、その本質のようなものはまったく伝わってないと思います。 ーーでは、これから先のキャリアでそれを伝えていきたいですか。 どちらでもいいと思っています。 ーーそうなんですか。 なぜならそれは時代にもよると思いますし、受け取り方によっても、人によっても、そのときの社会的な雰囲気によっても違うと思いますから。 ーー俳優としての自分を常に客観的に見ているのですね。 これはもう“運”でしかないと思います。自分の思想をちゃんと相手に伝えていくこと、しかも、見ている方々に伝えていくことで、その存在意義がどこにあるのか、「高橋一生」という俳優のポジションがどのあたりにあるのかなんて、僕が知りたいと願っても叶うことではない。なので、何も考えていないかもしれません。むしろ、好きなように受け取ってただければ、と思っています。 ーーその姿勢を貫いて俳優人生をまっとうしていくと。 それでいいかなと思います。 ーーところで、「エンターテイメント」には人の心を揺さぶり動かす「力」があると思うのですが、高橋さんはどう思いますか? もちろん思っていますし、今、そういうふうに言ってくださったことが救いです。 なぜかというと、「心を揺り動かされる」と上辺で言う人は多いですが、2020年以降どうなったのか。文化や芸術や娯楽に対して一部敬意が損なわれたことは、僕は忘れたくないです。 ーーコロナ禍においては「自粛」という名のもと、さまざまな規制が設けられました。 オペラ歌手の方にフェイスシールドの着用を求めたりなど、それらがすべて“そのときの空気”のもと醸成されていった、あの背景を見てきた人間としては、これはちょっと忘れちゃいけないなと思っている風景の1つではあります。 ーー今、振り返ると、エンタメ界でも深い心の傷を負った人は多かったかもしれません。 外出禁止のような雰囲気になっていましたけれど、しっかりとした法律があったわけでもなく、ただ外にでただけで叩かれたりすることもあったと思います。 「不要不急なことはやらないでください」という言葉は、本当に恐ろしい一言だなと今でも思います。5年も6年も経つと忘れがちになりますが、これは絶対に忘れちゃダメだなと思っていて。 ーー忙しい日常に埋もれると、辛い記憶もつい頭の片隅に追いやられてしまいます。 あれから5年、僕はずっと考えていました。もっと前から考えていたとは思いますが、言語化してしっかりと自分のなかに体系づけたのは、あれがきっかけでした。むしろ僕は良かったと思っているんです。これだけ考え方がはっきりしてきましたし。 結局、芸術とは何かといったら、高尚なものでも何でもなく、ティッシュの箱のデザイン1つとっても「芸術」であり「文化」なんです。その文化の尊厳に関しては、俳優として自分がもっと危機感を持っていなければいけないな、ということがはっきりわかりました。 ーー自分の仕事に対する思いが明確になった。 僕らも俳優として文化の端っこのほうにいると思うんですけれど、その文化というものを守っていくことはやっていかなければならない。ただ、先ほどお答えしたように、それがどれだけ伝わっているかは、そのときの社会の空気などによるので、こればかりは本当に運だなと思っています。 「娯楽」は「文化」の土壌になっていると思うんです。ここ最近は、自分はどうなってもいいから、しっかりと「文化」を守らないと、と本当に感じています。 ------------- 『連続ドラマW 1972 渚の螢火』は10月19日(日)より、WOWOWにて放送&配信スタート!
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