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A24がまたやった…『ウォーフェア 戦地最前線』観た?つべこべ言わずに劇場に行くべし

A24がまたやった…『ウォーフェア 戦地最前線』観た?つべこべ言わずに劇場に行くべし

2026年1月16日に劇場公開された『ウォーフェア 戦地最前線』、あなたはもう観ましたか? ​私は公開の次の日に観に行ったのだが、10日経った今も、観終わった後のあの感覚がずっと残っている。 それほどまでに、この作品は「映画」という枠を超えた何かを、私の身体に刻みつけていった。 ​正直に言って、私はこの類いの映画を絶賛する表現を知らない。 「面白い」という言葉は、あまりにも不適切だ。だって、これは面白いわけじゃない。 「良い映画」も違う。 「名作」という言葉は、この生々しさを語るにはあまりにも漠然としすぎている。 「衝撃作」――それは単なる事象であって、私の評価でも、感想でも、絶賛でもない。 ​この凄まじい何かを、一体どのように伝えればよいのか。 少しでも気になった人は、観に行ってほしい。 けれど、これをどう表現すればいいのか分からない。その葛藤の真っ只中に、私は今もいる。 ​アレックス・ガーランド監督が、前作『シビル・ウォー アメリカ最後の日』の次に突きつけてきたのは、観客を一切甘やかさない、剥き出しの「現実」だった。 ​今作を観て痛感したのは、『シビル・ウォー』はある意味でフィクションであることが救いだったのかもしれない、ということだ。 あちらは残酷な紛争を描きながらも、センスのいい音楽やキャラの立った登場人物、練り上げられた物語によって、ある種のエンターテインメントとして成立していた。私たちはどこかで「これは作り話だ」と自分を守りながら、それを享受することができたのだ。 ​しかし、この『ウォーフェア』には、そんな逃げ場も安全策も存在しない。 ​これは映画ではなく、記憶の移植。 ​今作が描くのは、2006年、イラク・ラマディでの海軍特殊部隊「シールズ」が体験した数時間の記録だ。 共同監督のレイ・メンドーサは、実際にその場にいた当事者の一人。彼が自らの記憶に基づいて再現した映像は、演出ではなく、「あの時、あそこにいた人間が見た光景」の移植である。 ​スクリーンを前にした瞬間、こちらの心拍が作品に勝手に同期し始める。 メンドーサが記憶を可能な限りそのまま映像に焼きつけているため、画面に映るものが演出なのか記録なのかの境界が曖昧になっていく。そこにあるのはドラマチックとはかけ離れた、耐え難い現実だった。 ​近くに立っていた兵士が、次の瞬間には肉片に変わる。その理由も流れもなく、ただそういう出来事が起きる。 「事実は小説より奇なり」と言うけれど、現実でこれがあるのは、あまりにどうかしている。論理的な理解を求めようとするこちらの脳が、追いつけずに悲鳴をあげる。 ​ ​観ようと思っている人は、どうにか時間を割いて劇場に行ってほしい。それも、特別な音響機器のある、デカいスクリーンの映画館で!! ​劇場で観るべきだというのは単なる推奨ではなく、この作品に関してはほぼ義務に近い。 家庭用スピーカーやヘッドホンでは、銃声や爆発音はもちろんのこと、「音を立てたら殺られるかもしれない…」という生死のかかった足音ひとつの“質量”が失われてしまう。 ​全身を殴りつけるような音圧と、張り詰めた静寂があって初めて、本作は“映画”ではなく“証言”として成立する。 そしてスクリーンいっぱいに映し出される光景は、モニター越しでは決して捉えきれない「重さ」を持っているのだ。 ​鑑賞ではなく、耐えるという行為 ​上映後に照明がついても、観客席に戻った感覚がない。自分が観客ではなく、ひとつの惨劇の生存証人にされている事実だけが、妙に重く胸にのしかかる。 ​安易な言葉を飲み込ませ、私たちに「目撃」を強いるこの作品。 この地獄を、私たちはどのように受け止めるべきなのか。その答えは、あの静まり返った劇場の中にしかない。 ​覚悟がない者は手を出すべきではない。これは鑑賞ではなく、耐える行為なのだから。 ​だが、この出来事を全ての人に知ってほしい……。 そう願ってしまう矛盾した自分の気持ちを吐き出すために、ここに書かせてもらった。 ウォーフェア 戦地最前線(Warfare) 監督・脚本 アレックス・ガーランド/ レイ・メンドーサ 『シビル・ウォー アメリカ最後の日』 出演 ディファラオ・ウン=ア=タイ ウィル・ポールター (『デトロイト』『ミッドサマー』) ジョセフ・クイン (『グラディエーターII 英雄を呼ぶ声』『ファンタスティック4ファースト・ステップ』) コズモ・ジャーヴィス (『SHOGUN 将軍』) キット・コナー (「ハートストッパー」) チャールズ・メルトン (『メイ・ディセンバー ゆれる真実』) <極限の95分、映画史上最もリアルな戦場に、あなたを閉じ込める> 2006年、イラク。監督を務めたメンドーサが所属していたアメリカ特殊部隊の小隊8名は、危険地帯ラマディで、アルカイダ幹部の監視と狙撃の任務についていた。ところが事態を察知した敵兵から先制攻撃を受け、全面衝突が始まる。反乱勢力に完全包囲され、負傷者は続出。救助を要請するが、さらなる攻撃を受け現場は地獄と化す。本部との通信を閉ざした通信兵・メンドーサ、指揮官のエリックは部隊への指示を完全に放棄し、皆から信頼される狙撃手のエリオット(愛称:ブージャー・ブー(鼻くそブーの意))は爆撃により意識を失ってしまう。痛みに耐えきれず叫び声を上げる者、鎮痛剤のモルヒネを打ち間違える者、持ち場を守らずパニックに陥る者。彼らは逃げ場のない、轟音鳴り響くウォーフェア(戦闘)から、いかにして脱出するのか。

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  • 作成日時
    2026/01/28 01:43
    更新日時
    2026/01/28 01:55

シビル・ウォー アメリカ最後の日

総合評価:3.0制作年:2024年制作国:イギリス、アメリカ再生時間:1時間48分
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2026年1月16日に劇場公開された『ウォーフェア 戦地最前線』のアレックス・ガーランド監督の前作であり、同じくA24製作の『シビル・ウォー アメリカ最後の日』。 ​そもそも、タイトルにある「シビル・ウォー(Civil War)」とは、単なる「内戦」を意味する言葉ではないらしい。アメリカにおいては、1861年から1865年にかけて国を二分した「南北戦争」を指す固有名詞として、極めて重い響きを持っている。 かつて国を壊したその言葉を、ガーランドは現代の「もしも」へと変換した。 ​正直、この映画を「面白かった!」「最高だった!」と言っていいのか、かなり迷っていた。決して「良い映画」なんて呼んではいけない、そう呼んだら不謹慎なもののように思えたからだ。 しかし、『ウォーフェア』という一切の逃げ場がない「現実」を観たあと、私の中での本作の評価はさらに跳ね上がった。 紛れもなく、これは傑作です。 ​私にとって、この映画が満点を付けるべきエンターテインメント作となった理由の大きな要因。 それは音楽。 ​ ​ガーランドという監督はいつも残酷なほど精密な罠を仕掛けてくるが、本作において最も凶悪な共犯者は間違いなく“音楽”だ。 ​物語は、欺瞞に満ちた大統領の演説から始まる。 希望も何もない世界に向けた、「ゴッド・ブレス・アメリカ」という空虚な言葉が終わり、遠くに爆撃音とヘリの音が響く。 そこに、乾いたハイハットが割り込む。 ​煙立つアメリカのバックに、跳ね気味の心地よいドラムに合わせてこちらの鼓動も跳ね上がる中、「プップープップップッ」という不穏な電子音が重なる。 規則的なその音は、神経をダイレクトに刺激する……。 ​うおおぉ!と叫びたくなってしまうような、この圧倒的なカッコよさ。内戦を描く残酷な映画だと分かっているのに、不謹慎にも高揚を止められない。 この瞬間から観客(わたし)のスイッチは強制的に入り、アドレナリンが出たまま興奮状態で地獄を観続けることになる。 ​ ​この冒頭を飾るのは、シルバー・アップルズの「Lovefingers」(1968)。 彼らは1960年代後半、自作の巨大発振器「The Simeon」を駆使して「未知の電子音」を生み出した先駆者だ。 ​あえてこの時代の楽曲が選ばれた理由は、その「生(なま)感」にあるのではないか。 手探りで作られた初期の電子音には、電圧の震えやアナログならではの「不純物」が混じっている。 その音から溢れ出る人間の「生」は、決してあたたかいものではない。 どこか無機質で冷たいのに、人間の不規則な心臓の鼓動や脳波と連動するような、奇妙な生温かさを孕んでいる。 ​この「無機質な生命感」が、崩壊し混沌に沈む人間社会という光景と激しく反発し、共鳴する。だからこそ、私たちは惨劇を前に「かっこいい」と感じるほどのアドレナリンを放出させられ、最後まで目を離せなくなるのだ。 ​ ​ガーランドの悪意はさらに鮮明になる。 戦闘の最中、緊迫感で張り裂けそうな中での銃声、そこで軽快に始まるデ・ラ・ソウルの「Say No Go」。 ​本来なら楽しい気分を掻き立てるはずの90年代ヒップホップの「軽さ」が、凄まじい現場の隣で鳴り響く。 このアイロニーが、観客を揺さぶり、混乱させ、でも同時に“釘付けにされてしまう”状態へ誘導する。 ガーランドは、この無邪気な明るさを使って、私たちの〈倫理と快感の境界〉を破壊しにかかっている。 そこで死体が転がっているのに…めちゃくちゃカッコよくて興奮してしまうのだ。 ​ ​そして、多くの記事でスルーしているが、実は本作においてなかなか重要なのが、スキッド・ロウ(Skid Row)の「Sweet Little Sister」だと私は思っている。 ​80年代後期のLAメタルの象徴ともいえる、女・酒・ロック!が全ての、深刻な事態などどこにも存在しないような“フェス的幸福感”。 この曲が崩壊するアメリカの中に突然差し込まれることで、「アメリカ人は、自らの破滅の前ですら“陽気さ”を捨てられなかった」という、底なしの皮肉が浮かび上がる。このバカデカい能天気さが現実と激突する歪みこそが、実は最も鋭く「アメリカそのもの」を語っているのではないかと思う。 ​そして最後に流れるのが、スーサイド(Suicide)の「Dream Baby Dream」(1979)。 鼓動のような電子音とともにドリーミーな浮遊感が漂い、この凄惨な物語の結末さえも美しく感じてしまう、珠玉のシンセパンクだ。 ​単純なフレーズが繰り返されるそのミニマルな構造は、観客を“悪夢と陶酔”の境界線へと立たせる。 現実感が溶け始め、地獄のような結末をも「美しい」と錯覚させてしまうこの曲の響きは、冷たくて危険な祈りのようでもある。 ​ガーランドはこの映画で、音楽を単なる背景ではなく、観客の神経に直接作用する麻薬として扱っているのではないか。 曲が感情の回路に割り込み、恐怖の中に高揚を混ぜ、倫理のボリュームを下げてしまう。 それは恐ろしく、抗い難く、そして徹底的に映画的だ。 ​この音楽による「罠」があったからこそ、『シビル・ウォー アメリカ最後の日』は最高のエンターテインメントとして成立していたのだと、今なら断言できる。 ​そして――。 その「音楽」という麻薬すら取り上げ、剥き出しの銃声と足音の重さだけで私たちを地獄へ引きずり込むのが、最新作『ウォーフェア 戦地最前線』である。 『シビル・ウォー』でこの罠にハマった者は、もう逃げられない。 つべこべ言わずに、劇場でその「次なる現実」を目撃するべきだ。 原題 Civil War 監督 アレックス・ガーランド キャスト キルステン・ダンスト、ワグネル・モウラ、スティーブン・マッキンリー・ヘンダーソン、ケイリー・スピーニー 他 作品データ 2024年製作/109分/PG12/アメリカ 配給 ハピネットファントム・スタジオ 連邦政府から19の州が離脱したアメリカでは、テキサス州とカリフォルニア州の同盟からなる「西部勢力」と政府軍の間で内戦が勃発し、各地で激しい武力衝突が繰り広げられていた。就任3期目に突入した権威主義的な大統領は勝利が近いことをテレビ演説で力強く訴えるが、ワシントンD.C.の陥落は目前に迫っていた。戦場カメラマンのリーをはじめとする4人のジャーナリストは、14カ月にわたって一度も取材を受けていないという大統領に単独インタビューを行うべく、ニューヨークからホワイトハウスを目指して旅に出る。彼らは戦場と化した道を進むなかで、内戦の恐怖と狂気を目の当たりにしていく。

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出典
*1 Rakuten TV (https://im.akimg.tv.rakuten.co.jp/content/86/98/506889/jacket_h_l.jpg) 取得日:2025/12/18

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