
最終回「冬のなんかさ春のなんかね」遅すぎた本音と「どうでもいい」の向こう側
今さらだけど、書こうか、書かまいか迷ったんですけど書きますかね。 映画のような世界観にすっかりハマってしまい最後まで観てしまったこのドラマ。杉咲花じゃないと成り立たなかったんじゃないか?というくらいセリフが長くて、演技が大変だったと思う。 ※ここからネタバレします。 一般的にはモテてているという認識なのかもしれない杉咲花ですが、毎回勝手に好きになられて勝手に振られる。こんな繰り返しじゃ、彼女はこれからもずっとこじらせてしまうのかなと。最終回のカフェでの話し合い、ゆきおから、マジでどうでもいいーー!と突然ふりきったようなセリフ、もう本音すぎじゃん。俺は新しい女もいるし、お前のことなんかどうでもいいんだわって。 いやそうですよ。裏切っていたことを全部話してすっきりして『さぁ、これからもよろしく』ってならないですわ。いや、マフラー編みながら、話したら許してもらえると期待したんだと思うんですけど。都合よすぎですよね。 でも、杉咲花は初めて心の内をゆきおに出したんじゃないか?とあの時思ったんですよね。まぁ、本音を出すタイミングが遅かった。ドラマの序盤から2人でいるときは、どうでもいい中身のない話しかしてなかったですし。温泉のシーンだって、時間のたった落ち着いたカップルだとすれば、あのじゃれ合いは違和感しかない。 なんだ?最終回直前に何を魅せられているんだ!としか言いようがない。 でも、もう2人でいる意味はほぼなさそうだし、山田線のほうが幸せになれただろうな。まじでどうでもいいけど!! 主人公のふわふわした性格、都合の良さ、曖昧なコミュニケーション——これらは一歩間違えれば共感できない主人公、として視聴者を遠ざけてしまう要素になるんですよね。 それでも、このドラマが成立して、見ていられたのは杉咲花ちゃんだったから。かもしれない。杉咲花という役者が持つ独特の「こじらせ感」のリアリティによるものだろう。彼女が演じることで、主人公の矛盾や優柔不断さが、単なる「ダメな人」ではなく「等身大の人間の弱さ」として立ち上がってくる。正直、感情移入はできないが、なんでそうなったか?は分かるような気がする。可愛くて、サブカル女子の頂点、杉咲花だからということに尽きる。 最終回のカフェシーン。ゆきおの「マジでどうでもいい」は、この関係性の終わりを象徴する一言だった。 「(俺も新しい彼女いるし)(お前のことなんか)これ以上知りたくないんだわ」——この突き放すような言葉は、ある意味で健全な拒絶ですよね。一見。裏切りを告白されて「これからもよろしく」なんてならない。むしろ、そうならないのが正常な反応であるのだけど、分かりにくいのは、ゆきおから芯を食ったコミュニケーションを本当に取ろうとしていたのだろうか?ということ。 出てくる男の中で、本音を話してくれたのは後にも先にも松島聡だけである。好きだとストレートに伝えても、好きな人がいる、と拒絶されたけども。(山田線は聞くだけで、彼自身の話をほぼしてない) ぶっちゃけ、最終回は、自分がまるで自分が成田凌に別れを告げられているようだ、と感じた。最後の杉咲花の我儘の具合も、往生際の悪い女の羞恥心をえぐってくる。この感覚他のドラマじゃ味わえないんだよな…。 2人でいるときに交わされていたのは、「どうでもいい中身のない話」ばかり。深い対話をしているようでしていない。山田線のように、感情を言語化する勇気がゆきおには欠如している。接客業だからか?これがこの関係を蝕んでいたような気がする。 あと、年末に実家に帰宅した際に杉咲花の家族が揃っていなかったことが、根本の原因なのではないか?とすら思う。家族のコミュニケーション不全は時として、社会性を失うきっかけになりえると思う。それでも人と繋がろうとする人間の姿を描いていたのではないだろうか。 主人公はこれからもずっとこじらせ続けるのだろうか?おそらくそうだろうとは思う。が幸せになってほしい。ドラマなんだから。気持ちよく終わらせてほしかったというのが本音である。 山田線のほうが幸せになれただろうな、とは思う。でも選ばなかった。それもまた、人生だ。 まじでどうでもいいけど、杉咲花はやっぱりすごい役者だと思う。
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- 作成日時:
- 2026/03/30 10:53
- 更新日時:
- 2026/03/30 11:13
冬のなんかさ、春のなんかね
杉咲花のためのドラマ。というか、なんかアンニュイな気分退屈な時にだらっと観るのがいいと思います。
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