
アラフィフ以上元バンドマン必見!『ストリート・キングダム』で蘇る、俺たちの初期衝動🔥
今、SNSでも話題沸騰中の映画『ストリート・キングダム 自分の音を鳴らせ。』知ってる? 舞台は今から48年前の1978年。セックス・ピストルズが解散し、世界中でパンクの火種が飛び散っていたあの頃。 東京の片隅で、既存の音楽業界にNOを突きつけ、自分たちの手でライブハウスを、レコードを、そして「居場所」を創り上げた若者たちがいた。 後に「東京ロッカーズ」と呼ばれる伝説のムーブメントだ。 本作は、その渦中にいた写真家・地引雄一の視点を通し、フリクションやリザードといった伝説的バンドたちが放っていた、ヒリヒリするような生のエネルギーとD.I.Y.精神を完璧に再現した、全ロックファン必見の歴史的証言映画だ。 あの時代を知っている元(もちろん現役でも!)バンドマンにはチョー絶感慨深い、日本のロックヒストリーに欠かせない、あのミュージシャンたちの物語だ!! なぜ今、アラフィフ以上のひとたちが観るべきなのか? 正直に言えば、1978年の現場にいたのは今の「アラセブ」のレジェンド世代。 でも、80年代後半のバンドブーム期に中学生だった私を含む「アラフィフ」、あの時代にロックを聴き始めた「アラカン」にとって、彼らは最高の「教科書」だった。 私たちが初めてギターを手にした頃、遠藤ミチロウ(ザ・スターリン)はすでに絶対的なカリスマで、東京ロッカーズは神格化された伝説だった。ZELDAが切り開いた道を、多くのガールズバンドが追いかけていた。 私たちは雑誌『宝島』や『DOLL』をむさぼり読み、彼らが作った「インディーズ」という名の荒野に、バンドブームという花が咲き乱れるのを見ていた「神話の目撃者」だった。 1978年から 48 年。 あなたはもう、ロックを聴いていないかもしれません。 あるいは、サラリーマンの皮を被って、通勤電車の喧騒の中、ダムドやクラッシュを爆音で聴きながら心の牙を研いでいるかもしれません。 もしくは、一日も欠かすことなく48年間、 48×365=17520 日(うるう年は抜くぜ!)ギターを弾き続け、指先のタコが人生の勲章になっているかもしれません。 今、あなたがどのような人生を送っていても、一度でもロックを愛し、楽器をかき鳴らし、シャウトしたことがあるのなら、この映画は「あなたの物語」になる。 まだ映画館で絶賛公開中だ。 ぜひスクリーンで、あの頃の、そして今のあなたの「青春の初期衝動」に酔いしれてもらいたい!! なぜ、この映画はこれほどまでに私たちの胸を熱くさせるのか。 それは、日本の表現界に『ロックという劇薬』を投じ続けてきた狂おしい才能たちが再集結した、まさに『奇跡の布陣』による作品だからだ。 スクリーンから溢れ出す圧倒的な熱量の正体——それは、ロックに人生を狂わされ、それでもなおロックを愛し抜いた最高のメンバーたちが放つ『魂の叫び』そのものなのである。 この映画を創り上げたのは、ロックに人生を狂わされた最高のメンバーだ。 ・監督:田口トモロヲ(80年代パンクバンド「ばちかぶり」Vo。正真正銘のパンクス!) ・脚本:宮藤官九郎(「グループ魂」Gt。日本のロック愛を形にする天才!) ・音楽:大友良英(『あまちゃん』から前衛音楽までこなす鬼才!) 主演は、かつて『アイデン&ティティ』で全バンドマンの涙を絞った峯田和伸(銀杏BOYZ)と、今最も熱い視線を浴びる実力派・若葉竜也のダブル主演! さらに吉岡里帆、仲野太賀、間宮祥太朗、大森南朋、中村獅童といった、ロック魂を受け継いだ豪華俳優陣が、1978年の熱狂をスクリーンに焼き付けている。 これを見た後は、彼らのロック魂が炸裂する関連作もあわせてチェックしようぜ、おい!Oi!Oi!Oi! 🎬 厳選!あわせて観たい「ロック魂炸裂」関連作リスト 『アイデン&ティティ』(2003) 👉 田口×クドカン×峯田の原点!90年代バンドブームの光と影を描いたバイブル。 『色即ぜねれいしょん』(2009) 👉 田口トモロヲ監督作。ディランに憧れる童貞少年の、痛くも愛おしい初期衝動。 『少年メリケンサック』(2009) 👉 クドカン脚本・監督!中年パンクスたちの悲哀と爆笑の再結成ロードムービー。 さあ、自分の音を鳴らせ!魂をかき鳴らせ!!!
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- 作成日時:
- 2026/04/16 23:57
- 更新日時:
- 2026/04/17 07:27
ストリート・キングダム 自分の音を鳴らせ。
今、SNSでミュージシャンや音楽好きたちを中心に、話題になっている映画がある。 派手なバズでもトレンド入りでもないがただ、分かる人たちが一斉に立ち止まり、長文を書き始める。 そんな現象が起きている。 それが『ストリート・キングダム 自分の音を鳴らせ。』 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 『ストリート・キングダム 自分の音を鳴らせ。』(2026年3月27日公開) 監督 田口トモロヲ 脚本 宮藤官九郎 原作 地引雄一『ストリート・キングダム』(自伝的エッセイ) 峯田和伸(ユーイチ/カメラマン) 若葉竜也(モモ/バンド「TOKAGE」ボーカル) 吉岡里帆(サチ/バンド「ロボトメイア」メンバー) 仲野太賀(未知ヲ/バンド「解剖室」ボーカル) 間宮祥太朗(DEEP/バンド「軋轢」ボーカル&ベース) 中島セナ(加世子/バンド「ロボトメイア」メンバー) 神野三鈴(モモの母) 浜野謙太(浅井/音楽ライター) 大森南朋(S-TORA/音楽プロデューサー) 中村獅童(ヒロミ/バンド「ごくつぶし」ボーカル) あらすじ 1978年。 ラジオから流れてきたセックス・ピストルズに衝撃を受けた青年カメラマン・ユーイチは、地方から東京へ出てくる。 音楽ミニコミ誌「ロッキンドール」をきっかけにライブハウスを訪れた彼は、 ボーカル・モモ率いるバンド「TOKAGE」の演奏に圧倒され、無我夢中でシャッターを切る。 ユーイチは彼らのカメラマンとして行動を共にするようになり、 次第に仲間たちは、レコード制作、ライブ開催、独自イベントをすべて自分たちの手で行い始める。 メジャーに頼らず、管理もされず、 ただ「自分たちの音を鳴らす」ために集まった若者たちの動きは、 やがて「東京ロッカーズ」と呼ばれるムーブメントとなり、 日本の音楽シーンにインディーズ文化の原型を生み出していく。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 私がロックを聴き始めた頃、新宿LOFTはすでに老舗のライブハウスになっていて、渋谷屋根裏は下北沢に移転していた。 そして私は、その下北沢の屋根裏に入り浸っていた側の人間だ。 床のベタつきも、フロアまでの階段も、終演後の湿った空気も、全部覚えている。 でもそれは、1978年の空気じゃない。 当時まだできたばかりの新宿LOFTの床の匂いも、屋根裏が渋谷にあった頃の緊張感も、私は体では知らない。 フリクションも、リザードも、スターリンも、ZELDAも、じゃがたらも、私が知った時には、すでに神話で、伝説で、引用だった。 それなのに、この映画を観ていると不思議な感覚に襲われる。 「知らないはずなのに、一緒に時代を過ごしてきた」 そんな気がしてくる。 理由は単純だ。 音楽をやったことがある人なら、一度は必ず通る感情―― 「自分の音を鳴らしたい」 その衝動を、この映画は一切嘘をつかずに描いているからだ。 売れるとか、評価されるとか、正解とか、型とか、そんな前提がない場所で、 とにかく音を出したい、存在したいと願った若者たち。 だからこれはノスタルジー映画じゃない。 初期衝動が、今の私たちの心臓を直接叩いてくる映画だ。 ──東京ロッカーズって、結局なにがすごかったのか この映画、正直に言うとロック好きじゃない人には不親切だ。 フリクション? リザード? スターリン? ZELDA? じゃがたら? 知らない人からしたら、「人の名前?店?呪文?」で終わる。 でも問題はそこじゃない。 彼らがいたから、今の日本のロックが“成立している” これを知ってるかどうかで、この映画の見え方は完全に変わる。 なので、まずはバンドの話をちゃんとする。 東京ロッカーズとは何か(超ざっくり) 1978年前後、東京。 メジャーしか選択肢がない ライブハウス文化が未整備 ロック=フォーク or 歌謡曲寄り この状況で、自分たちでイベントを打つ レコードを自主制作する 客席はオールスタンディング 業界の言う「売り」を無視する というやり方をまとめてやった連中がいた。 それが後に東京ロッカーズと呼ばれる一群。 ここで重要なのは、ジャンルじゃない。思想だ。 LIZARD(リザード)/ 劇中:TOKAGE ── 都市の孤独を照射する、衝動と知性のハイブリッド フロントマン・モモヨ(劇中:若葉竜也)の芯にあったのは、極めて自覚的で理論的なアーティスト・シップだ。パンクのエネルギーを内包しつつも、シンセサイザーの導入や都市論的な世界観を構築し、「破壊」ではなく「自己表現の手段」としてパンクを鳴らした。彼らの存在があったからこそ、日本のインディーズはアート志向の内省的な深みを持つことができた。 ザ・スターリン / 劇中:解剖室 ── 過激なパフォーマンスの裏側に潜む、鋭利な文学 全裸、流血、臓物投下。遠藤ミチロウ(劇中:仲野太賀)の過激さは、聴き手に「言葉」を突き刺すための冷徹な手段だった。山形大学卒のインテリジェンスが紡ぐ歌詞は異様なまでに文学的で、社会の欺瞞をえぐり出す。狂気と理性がせめぎ合うステージは、まさに戦後日本というシステムへの宣戦布告だった。 ZELDA(ゼルダ)/ 劇中:ロボトメイア ── ステレオタイプを拒絶し、孤高の表現者として立つ 「女性バンド=可愛いもの」というレッテルを、彼女たちは音楽そのもので粉砕した。初期のダークなポストパンクからワールドミュージックへの傾倒。小嶋さちほ(劇中:吉岡里帆)たちは性別を武器にせず、一人の表現者として都市生活の違和感を紡ぎ続けた。後に続くすべての女性アーティストの羅針盤だ。 じゃがたら / 劇中:ごくつぶし ── ロックが「生」の祈りと化した、暗黒大陸の祭典 江戸アケミ(劇中:中村獅童)を中心に、ファンク、パンク、演劇を闇鍋にした唯一無二のグルーヴ。それは音楽を消費する体験ではなく、アケミの言葉と肉体が放つ「生の圧力」を浴びる儀式だった。暴力的なまでの言葉は、同時に剥き出しの「祈り」として聴き手の人生に深く浸食する。 FRICTION(フリクション)/ 劇中:軋轢 ── 一音で世界を切り裂く、引き算の美学 日本のパンクの到達点。DEEP(劇中:間宮祥太朗)が奏でる、一切の無駄を削ぎ落とした鋭利なサウンド。東京の孤独と焦燥を、これほどまでに冷徹に、かつ熱く表現したバンドは他にいない。 峯田和伸という「思春期ボーイズの共有記憶」 峯田和伸、という名前を聞いて、理屈より先に体が反応する人は多いと思う。 GOING STEADY。 銀杏BOYZ。 90年代以降の思春期ボーイズが、拳を上げて、叫んで、泣いた。 救われたとか、影響を受けたとか、そんな生ぬるい言葉じゃ足りない。“通過してしまった”存在だ。 あの声。 あの歌詞。 うまくもないし、整ってもない。 でも、「これを歌うしかなかった」という必然だけは本物だった。 だから峯田和伸は、ミュージシャンとしてスクリーンに立つだけで、それだけで成立してしまう人物でもある。 ――でも、この映画はそれをやらない。 だからこそ、峯田くんは「歌わない」 『ストリート・キングダム』で峯田和伸が演じるのは、ボーカルでも、カリスマでもない。カメラマン・ユーイチ。 ライブハウスの隅に立っていて、音にやられて、シャッターを切ってしまう側の人間だ。 これが、めちゃくちゃ重要。 思春期ボーイズを救ってきた側の人が、ここでは“救われた側”“巻き込まれた側”に立っている。 叫ばない。 歌わない。 前に出ない。 その無粋さが、この映画に呼吸を与えている。 もし峯田くんがミュージシャン役だったら、この映画はもっと分かりやすく、もっと熱く、でも、どこか「賛歌」で終わっていたと思う。 そうならなかった。 思春期を終えた私たちのための峯田和伸 ゴイステや銀杏BOYZに全力でのめり込んでいた時代、私たちはまだ「鳴らす側」に憧れていた。 でも今、この映画の峯田くんが立っているのは、その一歩引いた場所だ。 ロックに出会ってしまって、人生の軌道が少しズレて、それでも離れられなかった人間の位置。 思春期を終えた私たちが観る峯田和伸は、もう「代弁者」じゃない。記憶を共有してしまった人だ。 だから刺さる。だから静かに効く。叫ばなくても、ちゃんと揺さぶってくる。 はっきり言うとこの映画での峯田和伸は、GOING STEADYでもなく銀杏BOYZでもなくロックの象徴でもない。 でも、それらを全部通過してない人間にしか立てない場所に立っている。 そこが、このキャスティングの完璧さだと思う。 役者たちのハマり方、そして「一番」 若葉竜也もいい。 間宮祥太朗もいい。 中村獅童も、めちゃくちゃハマっている。 ――でも。 一番ヤバかったのは、ミチロウ役の仲野太賀だ。 正直、最初は思った。「あれ? 私たちが知ってるミチロウと違う」「なんか、優しすぎない?」と。 でも見ていくうちに、分かる。これは遠藤ミチロウの生き写しじゃない。 未知ヲなんだ。 怒りと暴力の奥にあった、人間的な弱さ、孤独、優しさ。それを分裂させず、一人の人物として立たせた。 だからこれは伝記じゃない。遠藤ミチロウの精神の再構築だ。 「ほんわかしてる」? それでいい。それがいい。 この時代を知っている人ほど、「もっとエッジがあった」「もっとトゲトゲしていた」と感じるかもしれない。 でも、それでいい。いや、それがいい。 宮藤官九郎という“技術者”が、あの時代と全く同じには作らなかった。 映画としてのパワーと、多幸感を混ぜた。その判断が、この作品を「過去の記録」から、今の私たちの物語に変えている。 そして映画『ストリート・キングダム』を語る上で欠かせないのが、田口トモロヲの存在だ。 かつて彼が率いたバンド「ばちかぶり」は、日本の音楽史において「最凶」の異名を持つ。 ライブハウスでの暴挙は枚挙にいとまがなく、警察沙汰は日常茶飯事。 「音楽」という枠を、暴力とユーモアで物理的に破壊し続けた。 そのトモロヲが、本作で若者たちを見守り「伝説の音楽シーン」を撮ったのだ……。 これは、あなたの物語だ ロックを聴かなくなった人も。 今もギターを鳴らしている人も。 一度でも「自分の音を鳴らしたい」と思ったことがあるなら、この映画はあなたの物語になる。
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ストリート・キングダム 自分の音を鳴らせ。の★評価を入力するアイデン&ティティ
ーだから私は、『アイデン&ティティ』を何度も観てしまうー ロックを好きになった時、その音楽が「正しいかどうか」なんて、正直どうでもよかった。 ただ、信じてしまうかどうか。身体に刺さるかどうか。 『アイデン&ティティ』(2003年)は、ロックが世界を変える話じゃない。売れる話でもない。 むしろ、売れることに悩み、正しさに縛られ、立ち尽くす人間の話だ。 それなのに、この映画は今も強い。 理由はシンプルで、作っている人間全員が、ロックを「理屈」じゃなく「信仰」として扱っているからだ。 『アイデン&ティティ』(2003年12月20日公開) 監督:田口トモロヲ 脚本:宮藤官九郎 原作:みうらじゅん(同名自伝的漫画) 音楽:白井良明(ムーンライダーズ)/大友良英/遠藤賢司 出演: 峯田和伸(中島/SPEED WAY ギター) 麻生久美子(中島の彼女) 中村獅童(ジョニー/SPEED WAY ボーカル) 大森南朋(トシ/SPEED WAY ベース) マギー(豆蔵/SPEED WAY ドラム) 岸部四郎(事務所社長) 大杉漣(編集者) 三上寛(居酒屋店主) あらすじ 1980年代末〜90年代初頭。日本中が空前のバンドブームに包まれていた時代。 ロックバンド「SPEED WAY」はメジャーデビューを果たし、一定の人気を得ていた。しかしギタリストの中島は、「売れる音」と「本当に信じたいロック」の間で激しく葛藤し、自意識の沼に沈んでいた。 そんな中島の前に現れる、ボブ・ディランそっくりの“ロックの神様”。 ただし、この存在が見えるのは中島だけだ。ディランは答えを出さない。ただそこに居て、歌い、去り、重い問いだけを残していく。 ブームが終わり、仲間が去り、ロックとは何か、自分とは何かを突きつけられた中島が、泥まみれで“自分の歌”と向き合うまでの、あまりにも不器用な魂の記録。 ・峯田和伸という「説得力の塊」 この映画が成立している最大の理由は、これが映画初出演・初主演となる峯田和伸が中島を演じていることだ。 中島は、ロックに憧れて、ロックを信じて、そのくせロックに裏切られている男だ。頭で考えすぎて、何もできなくなっている。だいたい面倒くさい。 でも、この面倒くささは「演技」ではどうにもならない。 2003年当時、GOING STEADYを解散した直後の峯田が持っていた、ロックへの狂おしいほどの信頼と不信。その両方が、剥き出しのまま画面に出てしまっている。 上手いからじゃない。きれいだからでもない。 音楽を知らない俳優が借り物の姿で演じたのではなく、本気でロックを信じてしまった人間の姿だから、観ている側は黙らされるしかないんだ。 ・田口トモロヲという「好きなまま始めてしまった人」 田口トモロヲにとって、『アイデン&ティティ』は初監督作品だ。 だからこの映画は、どこか荒い。整理もされていないし、説明も足りない。 80年代に「ばちかぶり」でパンクを全身で浴びていた人間が、そのままの熱量でカメラを持った。技術より感情が前に出る。 だからこの映画には、ヒリヒリするような暴力性と、それとは裏腹に、本来ならば女子の憧れの的であるはずのバンドマンが見せる真の「ダメ男」の姿、そしてそれらと同じくらいの「変な優しさ」が同居している。 ・三上寛という「伝説が日常に溶け込んでいる贅沢」 ここで、居酒屋の店主を演じている三上寛について触れないわけにはいかない。 彼は日本のフォーク史における「怨念と情念」の象徴であり、まさに生ける伝説。ロック畑の監督にしかできない最高に贅沢で「分かっている」キャスティングだ。 峯田和伸という「現在のロック」の前に、三上寛という「日本の表現者の原点」が立っている。この新旧の魂の対峙が、セットの居酒屋を、まるで聖地のような空間に変えてしまう。彼がカウンター越しに見せる眼光は、迷える中島への無言のメッセージだ。三上寛をただの脇役で終わらせない。これが田口トモロヲ監督の、音楽に対する最大の敬意(リスペクト)なんだと思う。 ・みうらじゅんのボブ・ディランは「信仰」である 『アイデン&ティティ』におけるボブ・ディランは、象徴でも比喩でもない。完全に「信仰対象」だ。 悩んだら現れる。答えは言わない。でも去らない。 これは、原作者・みうらじゅん自身のディランとの距離感そのものだ。普通なら寒くなるような設定を、「全員がディラン信者である」という一点突破の熱量でねじ伏せ、成立させている。 オタクが一線を越えて「信仰」に辿り着いた時の強さが、この映画には詰まっている。 そして、ほんの少しだけ『ストリート・キングダム』の話 最新作『ストリート・キングダム』(2026年)を観たあとに、再び『アイデン&ティティ』を観ると、それぞれがより鮮明に見えてくる。 『アイデン&ティティ』は、ロックを信じすぎて立ち止まった「個人」の映画。 『ストリート・キングダム』は、ロックが人を動かし、場を創り上げた「集団」の映画。 2003年から2026年まで。 23年という時間をまたぎ、峯田和伸、田口トモロヲ、宮藤官九郎が集結した。 この2本は対立しない。同じ「ロック」という怪物を、違う年齢、違う角度で見つめた記録として、静かに、そして熱くつながっている。 この映画は、カッコ悪くて、不器用で、何者にもなれない「ダメな自分でもいいじゃんよ!」と、泥まみれのまま肯定できるようになる、人生最高の「回復剤」だ。 だから私は、『アイデン&ティティ』を何度も観てしまう。
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アイデン&ティティの★評価を入力する色即ぜねれいしょん
ロックに救われる前の、僕らの痛くて愛おしい日々——『色即ぜねれいしょん』 ボブ・ディランを信仰し、「平和」と「フリーセックス」を夢想しながら、現実は何一つ変えられない。そんな「何者でもない自分」に悶々としたことはないか? 『色即ぜねれいしょん』(2009年)は、ロックが「救い」になる前の、最高にカッコ悪くて、最高にピュアな「自意識の地獄」を描いた傑作だ。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 『色即ぜねれいしょん』(2009年公開) 監督:田口トモロヲ 原作:みうらじゅん(同名自伝的私小説) 音楽:渡辺大知/峯田和伸/岸田繁 出演: 渡辺大知(乾純/主人公):当時「黒猫チェルシー」現役高校生で主演デビュー。 峯田和伸(ヒゲゴジラ):隠岐島で出会う豪快なヒッピー。 岸田繁(ヒッピー):純の家庭教師、女とロックと人生を教える謎の男。 堀ちえみ(純の母)、リリー・フランキー(純の父)、臼田あさ美(オリーブ) ー1974年、京都。ディランと「どうしようかな」の間で 舞台は1974年。フォークブームが去り、パンクが生まれる少し前の、凪のような時代。 京都の仏教系男子校に通う乾純は、ボブ・ディランを「神」と崇め、ギターを抱えてはいるものの、現実に女の子と喋ることもできない文科系童貞高校生だ。 そんな彼が、夏休みに隠岐島へ向かう。そこで出会う「本物のヒッピー」や「自由な大人たち」。理想と現実のギャップにのたうち回りながら、彼は少しずつ「自分の音」を見つけ始める。 1974年から2009年の公開まで35年。そして現在2026年。 時代は変わっても、「何者かになりたいけれど、何にもなれない」という若者の痛みは、50年以上の時が経っても変わらない普遍的なものだ。 田口トモロヲが盟友・みうらじゅんを「愛」で包む 監督の田口トモロヲは、盟友・みうらじゅんの「痛々しくも美しい青春」を、突き放すことなく、大きな愛で包み込むように映像化した。 かつて「ばちかぶり」で過激なパンクを鳴らしていたトモロヲが、ここではあえて優しく、丁寧に少年の成長を撮っている。 それは、トモロヲ自身もまた、あの「カッコ悪い時代」を経て、表現者になったからに他ならない。この映画には、「カッコ悪くてもいい。その痛みが、いつかお前のロックになる」という、大人になったパンクスからの静かなエールが詰まっている。 日本のオルタナ界の才能を「童貞映画」に注ぎ込む贅沢 この映画のキャスティングは、音楽ファンにとって狂喜乱舞の「事件」だ。 渡辺大知(黒猫チェルシー): 当時、現役の高校生バンドマンだった彼を主演に抜擢したトモロヲの眼力。まだ何の色もついていない「純粋な戸惑い」を演じられるのは、当時の彼しかいなかった。 岸田繁(くるり): 純のお母さんが連れてきた、碌でもないことを教える家庭教師。でも思春期の高校生こそ、この自由でちゃらんぽらんなオトナがお手本になるのだ!岸田の眼差しは熱く人生を語る。純が成長するための大事なちゃらんぽらんを体現した。 峯田和伸(銀杏BOYZ): 隠岐島で出会うヒッピー「ヒゲゴジラ」。 長髪ひげ、そしてタンクトップ。純に大人の、あるいはロックの「自由という名の無責任さ」を教える。峯田和伸という男が放つ圧倒的な「生」のエネルギーが、純の自意識を粉砕する。 ボブ・ディランは「遠い神様」でいい 『アイデン&ティティ』のディランが「信仰」なら、今作のディランはまだ「憧れの記号」だ。 レコードジャケットを見つめ、ポスターに語りかける。でも、ディランのようにはなれない。 その「なれなさ」を認めた時、少年は初めて自分の言葉で歌い始める。 『ストリート・キングダム』が「集団の熱狂」、『アイデン&ティティ』が「個人の葛藤」なら、この『色即ぜねれいしょん』は「個人の誕生」の物語だ。 カッコ悪くて、自意識過剰で、女の子の前でドギマギして、ディランを聴いている自分に酔っている。 そんな「カッコ悪い自分でもいいじゃんよ!」と、鼻水を垂らしながら笑えるようになる。 この映画もまた、私たちが大人という仮面を脱ぎ捨て、あの頃の「痛い自分」と仲直りするための、最高に優しい「回復剤」なのだ。 だから私は、『色即ぜねれいしょん』を何度も観てしまう。
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色即ぜねれいしょんの★評価を入力する少年メリケンサック
ロックがもたらす「最悪で最高の余生」——『少年メリケンサック』 『アイデン&ティティ』が「葛藤」 『色即ぜねれいしょん』が「誕生」なら、 この『少年メリケンサック』は、ロックがもたらす「最悪で最高の余生」を描いた物語だ。 宮藤官九郎のポップセンスが暴発し、 正真正銘のパンクスである田口トモロヲが自らの過去を嘲笑うかのようにマイクを握り、 そして峯田和伸が「若き日のパンクの亡霊」として、物語の核を貫く。 さらにこの映画、よく見るとヤバいパンクの亡霊だらけだ。 クドカンは私たちを笑わせながら、気づけばとんでもない地雷原をステージに敷いている。 これは、ただのコメディじゃない。 中年パンクスの逆襲であり、敗者復活戦であり、 「それでもロックをやる理由」を突きつける映画なのだ。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 『少年メリケンサック』(2009年公開) 監督・脚本:宮藤官九郎 音楽:向井秀徳(ZAZEN BOYS) 栗田かんな(演:宮﨑あおい) レコード会社・メープルレコードの新人発掘担当。25歳。 ネットで偶然見つけた「少年メリケンサック」の映像をきっかけに、強引に中年パンクバンドのマネージャーへと仕立て上げられる。 泣き虫で気弱だった彼女が、ダメな大人たちと関わる中で、次第に中指を立てられる人間へと変わっていく本作の真の主人公。 作並秋夫(演:佐藤浩市) 少年メリケンサックのリーダーでベース担当。 かつては破壊の象徴だったが、現在は昼から酒をあおるアル中オヤジ。 最低で破天荒だが、どこか憎めない“顔で弾く”ベーシスト。 バンドへの執着と未練だけは、26年経っても失っていない。 作並春夫(演:木村祐一) 少年メリケンサックのギタリスト。 無表情で過激な歌詞を書き、過去の裏切りと逮捕歴から兄・秋夫を激しく憎んでいる。 ロックに人生を壊された男であり、同時にロックに縋り続ける男でもある。 清水ジミー(演:田口トモロヲ) 少年メリケンサックのボーカル。 解散ライヴの事故で重い後遺症を負い、現在は車椅子生活。 だがマイクを握った瞬間だけ、「本物のパンクスの目」が蘇る。 田口トモロヲという“本物”が演じる、パンクのなれの果て。 岡本(ヤング)(演:三宅弘城) 少年メリケンサックのドラマー。 若い頃は凶暴だったが、現在は妙に腰が低く、おとなしい人物。 それでも暴力のスイッチは切れておらず、バンドに火がつけば本性を現す。 ちなみに痔持ち。 スガマサル(演:勝地涼) かんなの同棲相手でシンガーソングライター。 才能はなく、夢だけは大きい典型的な“痛い若者”。 バリカンで髪を刈られ、半ば強制的に少年メリケンサックに参加することで、ロックの現実を叩き込まれる。 時田英世(演:ユースケ・サンタマリア) メープルレコード社長。 強引で無責任、だがどこか憎めない策士。 自身もかつてパンクバンドをやっていた過去を持ち、 「一度パンクに触れた人間の嫌な部分」を体現した存在。 TELYA(演:田辺誠一) ゴージャスな風貌のテクノポップスター。 「アンドロメダおまえ」のヒットで成功を収めた、 少年メリケンサックとは対極にいる人物に見えて、 実は時田と同じ「元パンク」という過去を持つ皮肉な存在。 金子欣二(演:ピエール瀧) 元・少年アラモードのマネージャー。 過激な性格でバンドを破壊した張本人。 25年後、彼らと再会する姿は、過去を壊した側の人間の現在を象徴している。 その他の“パンクの亡霊”たち さりげなく登場するが、 日本パンク史そのものが画面の端に立っている。 あらすじ レコード会社・メープルレコードで働く25歳の新人社員、栗田かんなは、ネット上で偶然見つけた一本の古いライヴ映像に目を留める。 そこに映っていたのは、1980年代初頭に一瞬だけ“伝説”となり、そのまま消息を絶ったパンクバンド「少年メリケンサック」だった。 若手バンドだと勘違いした社長・時田の独断により、かんなは彼らの調査を命じられる。 だが実際にメンバーと再会してみると、かつての破壊的なカリスマは見る影もなく、 アル中、痔持ち、無職同然――全員が救いようのない中年のダメ人間と化していた。 戸惑いながらも、半ば強引に“マネージャー”に任命されたかんなは、 ベーシストの秋夫、ギタリストの春夫、車椅子生活のボーカル・ジミー、ドラマーのヤングとともに、 少年メリケンサックの再結成とツアーを進めていく。 しかし、待っていたのは成功どころか破滅寸前の現実だった。 演奏はグダグダ、トラブル続出、観客からの反応も最悪。 かんなは一度、彼らを見捨てて逃げ出してしまう。 それでも―― 「それでもロックをやるしかない」という彼らの姿に、かんなはもう一度向き合うことを決意する。 過去の栄光でも、成功でもなく、 今この瞬間に“再びステージに立つこと”そのものに意味を見出した時、 少年メリケンサックは、26年越しに“本当の現在”を生き始める。 これは、 ロックに人生を壊された人間たちが、 それでもロックにしがみつきながら“再結成”する物語だ。 ー1983年の「農薬」と、2009年の「痔」 舞台は1983年。 世間が「めだかの兄妹」を口ずさむその裏側で、 彼ら「少年メリケンサック」はステージから「農薬!」と叫び、客を殴り、破壊の限りを尽くしていた。 そして—— 2009 − 1983 = 26年。 かつての破壊王たちは、 アル中、痔持ち、初老のダメオヤジになり果てている。 この「26年」という月日がもたらす残酷なリアリティ。 だが、再び楽器を手にした瞬間、 26年分の澱(おり)を吹き飛ばす“あの頃の衝動”が、確かに蘇る。 爆笑しながら、喉の奥が熱くなる。 そんなロックの瞬間が、この映画には確実にある。 ー田口トモロヲという「本物のパンクス」を車椅子に乗せる狂気 本作最大の見どころは、田口トモロヲのキャスティングだ。 80年代、伝説のパンクバンド「ばちかぶり」で 本当に“暴れていた”男が、 パンクのなれの果てのボーカル・ジミーを演じる。 これはもう、虐待に近いリスペクトだ。 喋れず、歩けず、車椅子に座るジミー。 だがマイクを握った瞬間、 その目には—— 「パンクスピリット、まだ死んでないぞ」 という炎が、はっきりと宿る。 田口トモロヲがそれを演じている。 その事実そのものが、この映画最大のロックなのだ。 ー若き日のパンクは、幽霊になっても叫ぶ——峯田和伸 峯田和伸は、この映画における 「パンクの原型・理想」だ。 1983年のVHS映像の中で、 全盛期の凶暴な若き日のジミーとして絶叫する峯田和伸。 その声と姿は、現代のボロボロになったメンバーたちにとって、 決して振り払えない“若き日の自分の亡霊”として物語にまとわりつく。 峯田の叫びが、この映画に 一本の太いロックの背骨を通している。 ー豪華すぎるキャストと、さらっと出てくる“やばすぎる面々” 星野源(SAKEROCK) 少年メリケンサックと対バンする人気バンドGOAのボーカルとして出演。 「古臭い」と馬鹿にした結果、佐藤浩市や木村祐一ら“本物の暴れん坊”にボコボコにされる、 この新旧ロック対決(という名の暴力)が最高だ。 遠藤ミチロウ(元ザ・スターリン):立ち飲み屋の大将 日影晃(THE STAR CLUB):生花店の店員 仲野茂(元アナーキー):ガサ入れの警官 冷静に見ると、 日本パンク史のレジェンドが、そこらへんに転がっている映画なのだ。 これはキャスティングじゃない。 完全に「召喚儀式」である。 ー少年アラモードはフィクションじゃない ジミーが在籍していたアイドルグループ「少年アラモード」。 「本当はこんな音楽、やりたくねえ。でも売れるためにはアイドルにならなきゃあかん」 そう言いながら歌わされる、いかにもな“赤ずきんちゃん風アイドルソング。 だがこれ、誇張でもギャグでもない。 ほぼ実話だ。 70年代、のちに日本を代表するヘヴィメタルバンドLOUDNESSとなる高崎晃と樋口宗孝が在籍していたLAZY(レイジー)が、同じ道を歩んでいる。 本来はハードロックをやりたかった彼らは、売れるためにアイドル路線を強制され、 「赤頭巾ちゃん御用心」という曲でお茶の間の人気者になってしまった。 皮肉なことに、その曲は大ヒット。 そして「売れた」ことで、彼らはアイドルをやめられなくなった。 『少年メリケンサック』に描かれる少年アラモードは、 日本の音楽業界が何度も繰り返してきた、 「才能が売れる形に歪められる瞬間」そのものなのだ。 ー回復剤としての『少年メリケンサック』 『ストリート・キングダム』が「集団の爆発」 『アイデン&ティティ』が「個人の葛藤」 『色即ぜねれいしょん』が「個人の誕生」なら、 この『少年メリケンサック』は、 「個人の再生(再結成)」の物語だ。 カッコ悪くて、体はボロボロで、過去の栄光なんて何もない。 それでも、 「こんな自分でもいいじゃんよ!」 と、老いていきながらも中指を立てて笑える。 ロックで人生を成功させることは難しいが 失敗した人生を肯定する力はなによりも強い だから私は、 『少年メリケンサック』を何度も観てしまう。
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