
才能を奪うのか、人生を奪うのか──『累』の危うい魅力
『累(かさね)』、これは思っていた以上に引き込まれた。 正直、観る前の情報はほぼゼロ。 ただ単純に土屋太鳳が好きという理由で再生したのだが、まさかこんな話だったとは。 観ながら思った。 「これ、『フェイス/オフ』じゃん!」 もちろん内容は全く違う。 しかし他人の顔を借りて人生そのものを奪うという発想は、あの名作に通じるものがある。 しかも今作は、それをアクションやサスペンスではなく、女優という世界で描いている。 これが実に面白い。 美しい顔を持つ者。 才能を持つ者。 本来なら両立しそうなものなのに、そうではない。 だからこそ二人は手を組み、そして少しずつ歪んでいく。 顔を入れ替えながら成功を掴んでいく人生。 しかし時間制限がある。 だから元に戻る。 また奪う。 また戻る。 その繰り返し。 冷静に考えるとかなり過酷な人生だ。 それでも舞台に立ちたい。 演じたい。 認められたい。 その執念がすさまじい。 そして、その執念をしっかり表現していたのが土屋太鳳と芳根京子だったと思う。 この映画は設定が特殊だから、役者が弱いと成立しない。 だが二人とも、人格が入れ替わる複雑な演技を違和感なく成立させていた。 特に感情が暴走していく場面の説得力はなかなかのものだった。 また映画全体にも勢いがある。 「この異常な人生を見せたいんだ!」 という熱量が伝わってくる。 だから多少の細かい部分は気にならない。 むしろ勢いで押し切るタイプの映画として気持ち良かった。 もちろん欲を言えば、もっと振り切っても良かった気もする。 もっと狂気に。 もっと破滅的に。 もっと観客が引くくらいに。 そういう方向へ行くのもアリだったと思う。 このあたりは日本映画らしいバランス感覚なのかもしれない。 ハリウッドや韓国映画なら、さらに激しく踏み込んでいた気もする。 ただ、それでも十分面白かった。 何よりテーマが強い。 顔とは何か。 才能とは何か。 人生とは誰のものなのか。 そんな問いがずっと付きまとってくる。 そして個人的には、もう少し救いのない結末でも良かったかもしれない。 こういう物語の主人公は、幸せになってはいけない気がするのだ。 人の人生を奪いながら掴んだ成功には、やはり代償が必要だと思ってしまう。 だからこそ、もっと後味の悪い終わり方も見てみたかった。 『累』は、美醜や才能という普遍的なテーマを、かなり大胆な設定で描いた異色作だった。 そして何より、土屋太鳳と芳根京子の熱演が光る。 観終わったあとに「なかなか凄いものを観たな」と思わせてくれる、危うくて魅力的な作品だった。
たくさんの「いいね」ありがとう!
104
- 作成日時:
- 2026/06/11 22:06
累 -かさね-
いやはや、思っていた以上に引き込まれてしまった。前情報は全くなし、ただただ、土屋太鳳ちゃんが好きという理由だけで鑑賞。蓋を開ければなんと「フェイス/オフ」だったのだからビックリ。他人の人生を奪い、女優として売れっ子になる主人公。ただし時間制限があるので、元に戻る奪うを繰り返す人生。うう、そこまでしないといけない人生ってなかなか。しかしこの人生を生きる執念っていうのかな、その凄まじさを、土屋太鳳と芳根京子は表現できていたと思う。映画自体も「この凄まじさを見せたいから、細かいところはええやん」とような気持ちいい勢いがあった。贅沢を言うならもっと激しく越えてきてもいいじゃないかとも思うところもあるけど、そこはハリウッドや韓国映画との差かな。それでも十二分に楽しめた。あとはバッドエンドが待っていたら最高だったかも。やはりこういう主人公は幸せになっちゃいけない。
あなたも作品の評価を入力してみませんか?
累 -かさね-の★評価を入力する



