
新生活を迎える今観たい映画
3月を迎えると、卒業シーズンがやってくる。今まで慣れ親しんだ人や場所と別れを告げ、新たなスタートを切る人もいるだろう。そんな時期に、おすすめの2作品を紹介したい。 どちらも、父と子の関係を描いた作品だ。ただ、いわゆる背中で語る父親像とは違い、子どもから父親に対して、気づきを与えるのがこの2作品の大きな魅力になっている。柔軟で素直な子どもに対して、大人たちの行動や考え方を変えるのは難しい。そんな中で、どのように変化が起きるのか、ぜひ注目してほしい。
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- 作成日時:
- 2025/03/28 18:19
はじまりへの旅
- 制作年:
- 2016年

ベン(ヴィゴ・モーテンセン)は、6人の子どもたちと共に山奥で自給自足の生活をしていた。そこへ、療養のため実家で暮らしていた妻レスリー(トリン・ミラー)が自殺したという知らせが届く。ベンは子どもたちと共に妻の葬儀へ向かうが、レスリーの父親は娘の死はベンのせいだと決めつけていた。 子どもたちの教育方針やライフスタイルはベンとレスリーで決めたものだった。学校には通わせず、自宅学習で育ててきた。山を駆け回り、野生動物を自分たちの手で捕らえて捌く。兄弟同士でナイフを使って戦う方法を身につけさせ、多くの本を読ませることで、心身ともに逞しく育ててきた。結果、子どもたちはアスリート並みの肉体を手に入れ、歴史や文学にも詳しくなり、長男のボウ(ジョージ・マッケイ)は数々の有名大学に合格するほどに成長した。 子どもたちは健やかに幸せに過ごしているように見えたが、葬儀に向かう途中に、レスリーの妹ハーパー(キャサリン・ハーン)の家を訪れたことをきっかけに少しずつ心境に変化が現れはじめる。ハーパーの息子たちから「ナイキ」などの一般常識を知らないことをいじられたり、ボウは同じ年頃の女性と良い感じになるが、恋愛の仕方が分からず戸惑ってしまっていた。 ベンはレスリーの父親から、子どもたちにとって本当に幸せなのは、学校に通って普通の暮らしをすることだと諭され、子どもだけ置いていくように説得される。義父母の家は豪邸で何不自由なく暮らすことができる環境だった。ベンは、自分の行いのせいで、娘がケガをしてしまったこともあって、子どもたちと離れて暮らすことを考えはじめ……。 人間の知能や人格は6歳までの教育や環境に、影響を受けると言われている。ベンの教育や考え方は、子どもたちに多大な影響を与えたのは確かだ。 本作では「ベンが子どもたちに影響を与える」という一方向だけでなく、「子どもたちがベンに気づかせる」シーンも度々見られる。亡き妻を想うあまり、葬儀で暴走しそうになったベンを「パパまで失いたくない」となだめたボウのセリフは、息子ゆえの説得力があった。 この世に生まれ、1人では何もできなかった頃から大切に育ててきた我が子が、教えてもいないような繊細な優しさや、賢さ、冒険心を持つようになっていることに気づいた親の気持ちはどんなものだろう。ベンと子どもたちの成長や変化とともに、本作はその親子関係の変化の尊さを見せてくれた。 最後に、注目してほしいのが妻の弔い方だ。レスリーが残した手紙には「土葬ではなく火葬をした後に遺灰を、ある場所で処分してほしい」と書かれていた。そして、ベンたちはそれを実行する。思わず、あっと声が出てしまうシーンだが、生き方そして死んだ後すら自分の人生を自分で決められる自由さと、ユーモアを感じられる貴重なシーンとなっている。
ハーツ・ビート・ラウド たびだちのうた
- 制作年:
- 2018年

ブルックリンの海辺の街レッドフックで、レコード屋を営む元バンドマンのフランクは、妻に先立たれて1人で娘のサムを育ててきた。サムはロサンゼルスの医大への進学が決まっていて、フランクは17年続けたレコード屋の閉店を決意していた。サムは幼い頃から、2人でセッションすることが好きだったが、年頃になり勉強も忙しくなって、父親とセッションすることを面倒がっていた。ある日、フランクにせがまれてサムのオリジナル曲を2人で演奏する。その楽曲を、フランクがこっそりSpotifyに登録したところ拡散され、注目を集めることになり……。 父親のフランクを『ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ』(2016)や『シビル・ウォー アメリカ最後の日』(24)のニック・オファーマン、娘のサムに『さよなら、僕のマンハッタン』(17)や『#スージー・サーチ』(24)のカーシー・クレモンスが務める。 妻を亡くし、男手一つで娘を育ててきた……とは思えないほどフランクが子どもっぽい。元バンドマンで、いつまでも音楽に執着して、サムとセッションすることをこよなく愛しているフランク。そんな父親だからこそ、サムは生活のためにと医大への進学を決めたしっかり者に育ったのだろう。 オリジナル曲が話題になったことで、舞い上がるフランクに対して冷静なサムは「お父さんとはバンドを組まない。医大に進む」と言いつつ、音楽が好きな気持ちを再認識しはじめていた。エージェントからのツアーのオファーを断るサムだったが「パパのレコード屋の閉店の日に、最初で最後のライブをしよう」と急遽ライブを開くことになる。 なんと言っても、このライブ演奏シーンが素晴らしい。サム役のカーシーは、アーティストとしても活躍中だそうで、それは歌声を聞けば納得できる。少しハスキーで力強い声の中に、わずかに甘さがあるその魅力的な歌声が、アップテンポで軽やかなメロディーに乗り、青春の瑞々しさが綴られた歌詞もたまらない。全3曲演奏するが、どれもその場の演奏を収録したものだそう。ずっと聴いていたくなってしまうが、物語と同様にライブには終わりが来て、レコード屋は閉店してしまう。 サムの人生の門出を描きながら、フランクにとっての再出発も描いている本作。17年続けてきたレコード屋をやめることで、バンドや過去への未練を断ち切ることができたのだ。レコード屋の大家であるレスリー(トニ・コレット)との新しい関係の構築も含め、フランクは娘と同じように、人生の新たな一歩を踏み出す。実は、大人こそ環境を変えたり、新たなスタートを切るのが難しい。そんな中で、娘の歌声が、旅立ちが、父親の背中を押す清々しい一作となっている。